指導員つれづれ

☆第32話「卒所式」☆


しばらく間があいてしまいました・・・。

4月に入り、今年も新しい仲間をにぎやかに迎え、先日の卒所式では、第50号を含む5名の卒所生を送り出しました。

私たち指導員にとっては、1年間のサイクルが終わり、また新しい1年がスタートしたことを意味する日です。

「学童の卒所」には、いくつか意味があるのではないか・・・そんなことを考えさせられました。

まず、「本人の頑張り」が、必要な部分があること。

学童で漫然と過ごしているうちに月日が経過し、あっという間に卒所・・・ということは、まずないやろなぁと思うのです。

はじめは、親御さんの不安や心配を動機にして、スタートしたであろう学童生活。

学年が上がるにつれて、そういう意味においては、次第に価値が薄れるにもかかわらず、学童でしか経験できないことや、喜びや楽しみ等のたくさんの「学童ならではの値打ち」を親子で見つけて、時には何かを犠牲にして、時には優先順位をつけることを迫られながら、「卒所=頑張った結果」なのではないかと思うのです。

次に「親御さんの後押し」が不可欠であること。

どんなに学童に魅力的な活動などがあったとしても、子ども達は、交友関係において、「学校の友達」と「学童の仲間」という、言わば「二足のわらじ」を履いていると思っています。

その中で、思い通りにできるのはどちらかと言うと、どうしても「学校の友達」との関係になり、その点では、「学童の仲間」は、少し窮屈な時だってあるのではないでしょうか。

ですから、足が遠のく時期がなかった高学年は、私も見たことがないくらいです。

でもそこで、親御さんの後押しは絶大で、前出の学童でしかできない経験を積ませるために、「最後まで頑張ってごらん?」という一言は、不可欠なものに思えますし、加えて、保護者会活動の負担を共に背負いつつ・・・という背景も含んでいるので、その熱い思いが、子ども達の心を動かすのかもしれません。

指導員の立場から見ると、この二つが最も大きな意味に見えるのですが、同じ「卒所生」の立場から見ると、どうでしょう?

涙をこらえる寂しい式典は、「WARABE Reunion」の一員として、スタートする式典になります。

これまで送り出した50名の卒所生と、今でもつながっている途中退所した子ども達は、100名を超える勢いです。

中学生も高校生も、大人の一歩手前も、すでに大人のメンバーも、「間違えば怒られる」という当たり前の関係があり、悩んだ時は一緒に考えてくれたり、支えてくれる仲間がいて、今も共に楽しむ時間を共有したり、それぞれの存在や成長を確認し合ったり、結婚式に花を添えたり・・・、学童のイベントでは、その力を発揮する場を得て、のびのびと活動したりする姿を見ていると、正に「健全な青年たち」だと思います。

「卒所=その切符を手にする機会」とも言えます。

何はともあれ、「わらべっ子達の門出」は、見送った子ども達と指導員の心に、少なからず「寂しさ」というダメージを残しつつ、いつものように賑やかにお開きとなりました。

5名の卒所生の行く末の幸を祈念しつつ、新しい年度の幕が上がりました。

年齢と共に、ダメージからの立ち直りに若干時間がかかるようにはなってきましたが(笑)、そろそろ切り替えて、この1年に思いを馳せてみようかと考えています。 by さるせん

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